陸奥鑑定所とは 設立者、氷白スエ(こおしらすえ)イタコ霊能者特別寄稿(1)

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陸奥鑑定所とは

設立者、氷白スエ(こおしらすえ)イタコ霊能者特別寄稿(1)

はじめに ~ご挨拶に代えて~

はじめに ~ご挨拶に代えて~

かつて陸奥鑑定所として、青森県の陸奥に設立されたイタコ霊能者による鑑定所が、「電話占い陸奥」として活動を新たにしてからしばしが経ち、ようよう落ち着いたと言えるようになりました。私自身、何度か電話による降霊、口寄せなどを行ないましたが、幾分慣れない手段でもあることに、最初のうちはご相談者にご迷惑をお掛けしたかと思います。お恥ずかしい限りではありましたが、この場を借りて改めて、平にお詫びを申し上げる所存にございます。

対面による霊媒鑑定を行なっていた陸奥鑑定所から、こうして電話による占いに手段を転じてみれば、なんとも津々浦々には心に負の要因を抱えていらっしゃる方の多いこととあらためて実感する次第であります。もっと早くに電話占い陸奥として活動の場を移しておけば、救える事情も多くございましたでしょうに、まこと心苦しい所存にございます。

さてそれとは別に、気に留まりましたことがありました。それは私自身も幾人かの方より訊かれたことで、「陸奥鑑定所とはどんな鑑定所だったのですか?」という件にございます。なるほど、確かにご尤もな疑念かと存じます。大きな商いとして活動していたわけでもなく、つまりは大々的に広報もしておらず、口伝、今風に言うところの口コミというもののみでの広まりであったため、設立されてより40年が経つとは言え、ご存じない方がほとんどでありましょう。もちろん、中には電話占い陸奥がかつての陸奥鑑定所であると知り、「以前、イタコに降霊してもらうために、九州から青森の陸奥鑑定所まで行ったことがあるのですよ」とおっしゃられる奇特な方もいらっしゃいました。これは嬉しい限りであります。 これも良い機会でしょう。手前どもがこの電話占い陸奥よりも以前に、看板として掲げておりました陸奥鑑定所につきまして、こちらでお話しさせていただきたいと思います

青森陸奥で、イタコとして独立するまで

その前に、私自身のことについて、しばしお付き合いくださいませ。詳細につきましては、霊能者紹介の項をご覧いただくとしましょう。内容は多少かぶってはおりますが重ねてお話し致しますと、私は幼い頃より“見えて”そして“聞こえて”おったのです。なにが?そう、つまりは死者霊の姿や声であり、神仏霊の託宣などのことであります。幼い子供がそんな能力を有していて、なぜ大きな騒ぎにならなかったのか。それは、青森県は陸奥という土地柄と、母も祖母も、当時はすでに亡くなっていた曾祖母もまた、イタコとして活動していた血筋であることが原因であったのです。よって始めのうちは、「あぁ、あんたにも受け継がれとんなんえ」と半ば嬉しそうに、しかしどことなく自分が経験した修行を思い出してか、悲しそうに母は言うたものでした。ところがどうも、私に受け継がれたイタコとしての霊媒能力は、母の想像を超えていたようなのです。

細かい年齢までは覚えておりませんが少し成長した後に、私は青森陸奥のイタコの血を引く者として巫儀の修得のために、祖母の元へと預けられることになりました。祖母は篤志家の祖父と結ばれたことで生活の糧を自分の力だけで得る必要がなくなり、霊媒術や口寄せの能力が衰える前に、イタコとしての活動から身を引いていたのでした。しかしイタコは伝統霊媒術でもあり、後進を育成することに関しては引き受けていたのです。

一人前のイタコになるための、般若心経・オシラホロキ・十和田様の上げ降ろし・地獄探し・神寄せ・錫杖経・国がき等の習得について、細かいことはここでは省きましょうか。ひと口に言いますと、修行というのは単にイタコ霊媒師を目指すのみにあらず、人間形成も兼ねておりますのでそれはもう厳しいものでした。何度か祖母の家を飛び出しては実家に戻り、母が再度連れ出すか祖母が連れ戻しに来るかの繰り返しでした。こうして私は修行の月日を重ね、齢17にして独立を果たしたのでした。