ある除霊師と呼ばれる霊能者との出会いが、私の人生を変えた。

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霊媒師・イタコとは ~陸奥鑑定所の霊能者たち~

あるイタコの半生 ~私がイタコになった理由~(1)

ある除霊師と呼ばれる霊能者との出会いが、私の人生を変えた。

イタコ

私が霊能力に目覚めたのは、成人して師匠の下でイタコの修行を始めた頃からですので、20代中ごろになります。しかし霊能力を自分の意思で制御するのではなく、無意識で霊能力使っていたという事に心当たりがありますので、霊能力の素養自体は今思えば物心つく前からもっていたのだと思います。

幼少期の私は、視線に敏感な子供でした。霊能力を持たない方にニュアンスを伝えますと、周囲の気配を感じ取りやすいと言えば分かりやすいかと思います。当時を振り返りますと、その視線は、近所のとある山(子供のころは知らなかったのですが、霊に関する曰くがありました)やお盆の時期にやたら感じ取れましたので、これは霊の気配を無意識に感じ取っていたのだと、霊能力に目覚めた今だからこそ断言できます。

そんな私が霊能力を自分の意志で使えるように身に付けたいと思ったのが、ある除霊師と呼ばれる霊能者との出会いでした。その除霊師との出会いは、大学に入って一人暮らしを始めて間もない時期でした。当時のアパートの一室に良くない霊が取り憑いていたのです。私は霊能力の素養が有った事もあり、その霊に目を付けられてしまったのです。

当時、特に苦しかったのが就寝時です。その霊は、就寝中の最も力を抜いている時間帯を見計らって私を攻撃してきたのです。攻撃されている状態とはいわゆる金縛りで、こうなってしまいますと霊に対してなすがままですから、明け方の霊が立ち去る時間帯になるまで身体を執拗に舐られ続けていました。こんな生活が1週間ほど続きまして、私はアパートの大家さんに引越しを視野に入れた相談を持ちかけました。交渉の結果、大家さんは家賃の減額と霊能力者に除霊を依頼するので引越しは待ってもらいたいと言い寄ってきましたので、私は「本当に霊が退治される事」を条件に引越しを保留しました。

悪霊退治の日、私は除霊の現場に立ち入る事にしました。大家さんが嘘を付く可能性もありましたし、この除霊が失敗した場合、一番に悪霊から恨みを買ってしまうのは私だと思いましたので、悪霊の最後を確認するまでは安心できなかったのです。
そして、現場に除霊師の方が参られました。この方こそが、のちに私に師匠を紹介してくれることになる人物でした。その方は部屋の四隅に盛り塩をし、霊と対談しました。私と共にその現場にいた大家さんは、その様子を見て半信半疑だったようなのですが、霊能力の素養があった私には、その会話内容が聞こえてきました。
その霊の方は私と同じ大学出身の方で、思うように成績に伸び悩み何度も留年を繰り返した過去がありました。留年を繰り返すことによって、実家の家族や周りからの扱いが悪くなった結果、思い悩んで自殺をされたという過去をもっていました。その霊の方は、大学内で似たような家族構成をもった私と出会い、そのまま私に取り憑いてアパートの一室に住み着いた。と話しておりました。除霊師の方は「あなたの境遇は分かるが、未来ある生者を苦しめてはならない!」と一喝し、そのまま霊をあの世に送り返されました。私はこれで悪霊に悩まされる事は無くなったのです。
除霊後に私は除霊師の方にお礼を言いました。除霊師の方は、私が霊との会話が聞こえていた事に気づいていました。その時に私は自分に霊能力の素養がある事を聞かされて、霊能力の修行を本格的に行なってみないかとスカウトを受けたのです。

大学卒業後、私は除霊師の方の勧めでイタコになることを決意しました。私の霊能力の特徴は、霊の気配を察知する事だということでしたので、霊を呼び出し憑依させるイタコの口寄せという能力は私の才能にピッタリの能力という話でしたので、イタコの本場である青森県の恐山で活動しているベテランの現役イタコを師として紹介してくれました。
恐山で私は、霊を呼び出す方法、霊の言葉をクリアに聞き分ける力、霊に身体の自由を奪われない為の修行などを伝授していただきました。この能力を身に付けるための修行はとても厳しいものでした。あまりの厳しさに霊能力者になる事を諦めようかと思う事もあったのですが、そんな時は除霊師の方に助けてもらったあの日の事を思い出しました。私はあの日、自分にしか出来ない事で、人助けが出来るという事に憧れを懐いたのです。私もあの除霊師の方のように霊で悩んでいる方の力になる事を心に決めて、イタコの修行に望んだのです。

私が恐山に足を踏み入れて何年か経ち、ついに私は一人前のイタコとして、師匠のお墨付きを貰いました。そして私は初めて他人から霊の呼び寄せ依頼を受ける事が許されました。 私のイタコとしての初めての依頼は、亡くなられた母親にもう一度声をかけてもらいたいというものでした。その依頼主は会社からクビを切られたばかりで、頼る親戚も友人も無く途方に暮れているという方でした。その依頼主の方は10年以上前に亡くなられた母親の声をもう一度聞いて、明日の活力を貰いたいと言っておりました。
通常でしたら、10年も前に亡くなられた方はすでに成仏していますので、私のあの世に意識を飛ばして魂を探さないといけないので、呼び出しに時間が掛かるものなのですが、この方の依頼はすぐに魂を見つける事が出来ました。……なぜならその方の母の魂は、いつ何時も依頼主さんの傍にいて見守っていたからです。
私はその方の傍にいた母親に身体を貸しまして、その方の気の済むまで会話を楽しませました。身体を貸す前は、照れくさかったようでなかなか憑依してくれなかったのですが、一度憑依させて会話を始めますとそこは親子ですね。私の心が子を思う気持ちで溢れてきたのです。その事もあって、依頼者との会話が終わり憑依を解いた後、私は涙がしばらく止まりませんでした。身体を貸した母親も同じ気持ちであり涙を流したかったでしょう。しかしその方は、依頼者の会話中涙を出すことを堪えていたのです。私はこの時、母親のだれもが持っている深い愛情を知ったのです。
この方の母親の事ですが、別に珍しい事ではありません。イタコとしての経験を何度も積んでいく内に分かったのですが、強い絆で結ばれた方は、死後もすぐ傍で守護霊となって見守っているものですし、しばらく会話すら出来ない状況にあった魂をイタコの口寄せで会話をさせますと、さまざまな感情が涌き上がってくるものなのです。修行時代に何度も行なってきた口寄せですが、近い存在のものと魂が共鳴することで、より強い絆となるという事を、この時に初めて私は身をもって知ったのです。

私は魂の共鳴によって深まる霊との絆を何度も目の当たりにする事で「もっと多くの方に絆を深めてもらいたい」と思うようになり、恐山から出て一人のイタコとして独立することに致しました。現在ですが、電話占いを中心に活動をしています。
思えば「悪霊を退治したい」というのがイタコになったきっかけだったのですが、実際のところは悪い霊ばかりではありませんでしたね。どんな霊も生前に大切に思っていた家族があり、その思いは死後も続いているのです。なにもかもを力ずくで解決しようとしますと、どこかで必ず必要の無い争いが生まれてしまいますので、除霊師ではなくイタコになった事は正解だったと思います。
私が今行なっている電話占いという仕事は、恐山でイタコとして活動していた時よりも、便利で身近に霊能力者に相談できる恵まれた環境だと思います。もしも霊に関する悩みや、もう一度会話をしたかったという人がいるのでしたら、電話占いで私どもイタコと連絡を取って下さい。あなたはひとりではありません。過去との人間の絆の力というものは、子々孫々脈々と繋がっているものなのです。中には思いもよらない大人物と繋がっている事もありますので、興味があるのでしたら一度電話占いに依頼を行なって貰うことを強くお勧め致します。人生を真っ当した魂との会話は、きっとあなたの人生に良い影響を与えてくれるでしょう。