霊媒師・イタコとは ~陸奥鑑定所の霊能者たち~
陸奥鑑定所の霊能者たち(2)
愛知県名古屋市で、幼くしてテレビ出演の経験もある霊能者Sのこと
陸奥鑑定所での降霊術鑑定も、忙しさを増していた頃のことです。
基本的にご相談者の方々には申し訳ないと思いつつも、青森県の当所までご足労願っての口寄せ降霊鑑定を行っておりました。この路線は変えない、例外は認めない、そのつもりで運営をしていたのですが、やはりどうしてもいわゆる大きなスポンサーの方からの頼みとなりますと、断れずに陸奥を離れて出張鑑定という形で出向くこともありました。もちろん、イタコの聖地ともあの世(霊界)との入り口とも言われる恐山を離れたからと言って、霊媒術の力が落ちるわけではありませんが、いかんせん日常生活に不自由なイタコですから、当時のような交通手段で遠出するのは意外に負担ではあったのです。
そんなとき、私は愛知県は名古屋市から、どうしてもと言う要請に応じて当地を訪れて口寄せ霊媒術を行うこととなったのでした。名古屋市はおろか、愛知県すら初めての私でしたから、なにかと新鮮ではありました。しかしどこへ行っても同じなのですが、成仏できない死者の霊はそこかしこに見て取れます。愛知県は日本一寺院の数が多いと申しますが、漂う死者霊が目に付くのもその影響でしょうか。
さて、相談の依頼があったのは、とある企業の社長様でした。その奥様に原因不明の熱が続き、しかしながら病気の気配はないとのことで霊能者として私に白羽の矢が立ったとのことでした。現在のようにネットが発達していない時代なのに、青森県陸奥の陸奥鑑定所と私氷白スエのことが、遠く愛知県名古屋市まで届いているとは正直驚きでした。名古屋市へ到着したその日のうちに、私は社長様宅を訪れたのでした。
実際に口寄せを行った霊媒鑑定の詳細は、ここでご紹介することは致しません。どんな霊が憑いていて、それをどのように浄霊したか、誰がその霊を社長夫人に送り込んだのか、すべて個人的な内容に触れますのでご容赦ください。それにここで紹介したい主題は、この後のことなのですから。さて霊媒鑑定が済んだところで、社長様からある人物を引き合わせたいと申し入れがありました。そこで引き合わされたのがSになります。
当時のSは、まだ10代でしたか、見るからに幼い容姿をしておりました。しかし私はひと目見て、その魂に宿る大きな力を感じ取ることができたのです。私は承知しておりませんでしたが、Sは当時愛知県のローカルテレビ番組で何度か公開霊視鑑定を行い、見事に様々な過去や現状を的中させたり未来を予知したりして人気を得ている幼い霊能者だったのです。それこそ陸奥鑑定所に来れば、すぐにでもご相談者の声を聞けるほどの霊能力を持っていたのです。いったい私とSとを引き合わせたのは、どうもSの霊能力が最近落ちていることを心配してのことだったようです。Sの身内と社長様は、遠縁に当たることでこうして接点をと依頼されたそうでした。
「どうすれば良いでしょうか」そう聞かれた私は、即座に自分の元へ預けるように進言致しました。霊能者同士、私にはSの心が、魂の声が聞こえました。テレビに出たりして見世物になるのが嫌だ、もっと普通の環境で、相談者のためになるように力を使いたい、と。ですから私は、このままだと完全にSの霊能力は消滅し、普通の人になるでしょうと伝え、イタコの修行をするべきだと答えたのです。その瞬間、Sの霊波動が歓喜の様相を帯びて大きく唸ったのを感じました。
そうして、“修行を行う”との名目でSは陸奥鑑定所へと籍を置くこととなりました。もちろん、イタコとしての祭文修得などの修行も行いましたが、元々完成された霊能力を持ったSでしたので、死者の魂が多く集まる青森県陸奥に来て以来、さらに霊能力が研ぎ澄まされたように思えました。すぐに口寄せや自動書記などもできるようになり、2年後には陸奥鑑定所で相談者の願望成就や問題解決に当たるようになったのです。今は愛知県名古屋市に帰り、イタコ霊媒鑑定を始めとして、降霊術を駆使した活動をしております。独立するときには、一、二を争うほどの霊媒術を持つ霊能者として知られておりました。多少パソコンに明るくなった私も、時折Sの活躍をインターネットで見ては笑みをこぼしております。