第七話 非常階段から来る者

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本当にあった心霊話

第七話 非常階段から来る者

[体験者] 神奈川県川崎市在住・木村映奈さん・30歳・会社員

工場地帯に隣接した殺風景な街角に建つ小さなマンション。そこへ引っ越した友人を訪ねると、彼女はいきなり声をひそめ「ここ、出るみたいなの」と訴えてきた。その時は気のせいだと笑い飛ばしたものの、やがて深夜の屋外から謎の声が響き渡り……。

非常階段から来る者

私が4年前に体験した出来事について書きます。元々は陸奥の霊能者の先生にご相談した案件なのですが、興味深い内容なのでぜひHPで紹介したいと言われ、迷いながらも拙い筆を取らせていただきました。

当時、仲の良かった元同僚の女の子が、実家からマンションへ引っ越して1人暮らしを始めたと聞き、転居祝いを兼ねて遊びに行くことになりました。実際の地名などを出すと差し障りがあるので、所在地は関東近郊のとある町とだけ言っておきます。そのエリア自体は地方都市にしてはそこそこ栄えているものの、友達が引っ越したというマンションの建物は町の中心から少し離れた場所にあり、周囲は工場や駐車場、空き地だらけという微妙な立地のようでした。でも電話で話している限り、本人はまるで気にしないという様子で「元々、車通勤だからバスや電車の便は気にならないし、夜道も歩かないから危険なこともないよ。それより家賃の安さの方がずっと大事」と、カラカラ笑っていました。

しかし、いざ訪問当日になって顔を合わせてみると、その態度が急変していたのです。引っ越し当初の元気はどこへやら、「家賃だけで決めて大失敗した」と、消沈した表情を浮かべていました。「生活が不便ってこと?でも、スーパーやコンビニは一応あるじゃん」「うーんと、そういうことじゃなくてね、どうもヤバイ物件を掴まされたみたいなの」女友達はそう言うと、両手を胸の前でダランと垂らす仕草をしました。「もう、止めてよ!」、からかわれたのかと思い、笑って彼女の額を突いたのですが、真顔で見返されました。「げっ、もしかして、本当に……で、出るの?」「うん……。見せたいものがあるから、ちょっと来て」言うなり、袖を掴まれてリビングから連れ出されました。

玄関を開けて外廊下へ出ると、その西端にあるエレベーター前まで引っ張って行かれました。「ほら、これ。さっき私の部屋に来る時、気づかなかった?」指差されたエレベーターの向い側には非常階段のスペースがあったのですが、その出入り口部分の鉄骨の上によれよれになった細い縄が張り巡らされていることに初めて気づきました。その縄の所々には小さな白い塊が付着しており、良く見るとそれは風化した紙片でした。「何、これ?」「たぶん、何かのおまじないだと思う。ほら、注連縄なんかに付いている白い紙のビラビラがあるじゃない。それが雨風に晒された末の残骸みたい」彼女が、紙垂(しで)について語っているのだとこの時、ようやく気づきました。 私は学生時代、地元の神社で巫女のアルバイトをしていたので多少、神道についての知識を持っています。紙垂というのは、注連縄や祓い串などに付いているギザギザっぽい和紙製の垂れ飾りのことです。稲妻の光をかたどっており、魔を祓う意味合いがあるのです。

「これと同じおまじないの縄がね、全部の階の同じ場所に張ってあるの。それから駐車場に出る裏口のドアの横に、盛り塩みたいな物が置かれているのを見たこともある」一体それは誰がやっているのかと訊ねると、彼女は頭を横に振りました。「分からない。ここに住んでいる誰かに訊けば教えてくれるのかもしれないけれど、私、引っ越したばかりで知り合いもいないし、第一、そんなことを訊くこと自体が怖いじゃない!」「こんな気味悪い物があるのに、内見の時に気が付かなかったの?」「うん。私を連れてきた不動産屋のオジサンも何も言わなかったし、その時には全く目に入らなかったんだよね」話を聞きながら当然の疑問が湧きました。仮に住人の誰かが何かの理由でやっている行為だとしても、マンションの管理人なり掃除業者なりが気付いて、すぐに撤去するはずです。それが朽ちるまで放置されているという状況自体がすでに不可解でした。

「ここのマンション、管理人いるんでしょう?」「もちろん、いるよ。常駐じゃなくて9時5時の通いだけど」「その人に訊けば何か分かるんじゃないの?」「もう訊いたよ。そうしたら……」各階の非常階段部分に注連縄の残骸のような物があることはむろん承知しているが、マンションを所有する不動産会社の管理部から、手を触れずそのままにしておくように命じられているので、自分の一存ではどうにもできない、と言われたそうです。「じゃあ、その会社に直接、訊けば良いじゃないの」「もう、それもやったよ、ここを仲介した不動産屋を通して訊いてる最中なの。でも、答えはまだ返ってきてない」そう言うと彼女は、一呼吸おいてさらに言葉を続けました。「でも、どんな答えが返ってくるのか、おおよその予想はついてるんだ。夜になれば、あんたにも分かるよ」。

その晩、彼女の部屋に泊まることになりました。当初はそんな予定はなかったのですが、毎晩、自分が見ている物が幻覚なのかそうでないのかをこの際はっきりさせたいので、どうか付き合って欲しいと請われ、断ることができませんでした。日が暮れ、作ってもらった夕食を摂り、缶ビールを片手に深夜を待ちました。一体何が起きるのかと訊ねても、「その時になれば分かる」の一点張り。何も教えてくれません。そして午前零時を過ぎた頃、いきなり窓外から奇妙な音が響いてきたのです。『うごなはり……は……みこたち……おほきみたち……まへつぎ……みたち……もものつかさの……』それは神主が奏上する祝詞のような調子の文言を、途切れ途切れに唱えている男の声でした。

「な、何、これ?外に誰かいるの?」女友達は無言のまま、ベランダへ出て行きました。私がその後を追うと、彼女は手摺り越しの階下を指差したのです。建物の5階から周囲を見渡す格好となりました。「ほら、見える?あっちの方」言われた方向へ目を遣ると、そこはマンション裏手の空き地。近くの街路灯に照らされて、草の生い茂った地面の様子がうっすらと窺えたのですが、その薄闇の一部分が盛り上がって蠢き、まるで歩く人影のように見えました。「アレ、映奈にも見える?」「う、うん……」「良かった。やっぱり、私の頭がおかしいわけじゃないんだ」祝詞を上げる声はその影と一緒に移動していました。と、それは見る間にフェンスを乗り越えて、マンションの敷地内へ侵入してきたのです!

「良かったって、あんた何、暢気なこと言ってんのよ!ち、近づいてきてるよ!」「大丈夫。建物の中には入れないから。毎晩、そうなの」彼女が言う通り、不気味な影の移動はある地点でピタリと止みました。そして断末魔のような低い唸り声を発すると、霧が四散するように消えてしまったのです。そこはちょうど非常階段の降り口になっている場所でした。「これってあの注連縄が、結界の役目を果たしているってこと?」振り返って訊ねると、コクリと頷きました。「うん。私もそうじゃないかって思っている。でももうボロボロだし、いつまで保(も)つのかなって……」。

この出来事からしばらくして、女友達が急病で入院したという報せを受けました。仕事中にいきなりデスクから崩れ落ち、救急車で病院へ運ばれてしまったのです。少し前から原因不明の貧血が続いていたそうで、その後の精密検査で深刻な病状が発見されました。そのうちに勤めを続けることが難しくなって会社を辞めることになり、今でも体調があまり優れないようです。マンションの部屋もとうに引き払って、元の実家住まいに戻っています。彼女を見舞った際に当人から聞いた話では、「注連縄の謎は結局、分からなかった」とのこと。また、それまですこぶる元気だった自分が急に健康を損ねたのは、あの黒い影の祟りが原因に違いないとひどく脅えていました。

「じつは私が入院する前の週の夜、アレがとうとう建物の中へ入ってきたの。1階のロビーや共有廊下を黒い影が飛び回っているのを大勢の住人が目撃して、警察まで呼ぶ騒ぎになって……。多分、どこかの階であのおまじないの縄が外れちゃったんだと思う」 彼女は震え声でそんなことを言っていました。

霊能者による検証コメント

体験者ご本人も冒頭で書いておられますが、今回ご紹介させていただいたお話は、元は霊障に関するご相談として承ったものです。集合住宅の建物内に何者かによって魔除けの縄が張られ、管理側も撤去しないというのは、それだけもかなり異常な事態です。不動産会社が直接管理する賃貸マンションであるため管理組合などもなく、それ故に住人からのクレームがスルーされ続けてきたのでしょうか。

いずれにせよ疑問が多々残るお話であったため、遠隔霊視で確認してみたところ、当該マンションが建設される以前、その敷地には小さな神社があったことが辛うじて判明しました。ただし神社とは言っても伝統的なそれではなく、神道系の小さな宗教団体が独自に建てた社のようでした。祭神もその団体の初代教祖となっていました。そこからどういう経緯で神社が取り壊され、賃貸マンションへと建て替えられたのかは定かではありません。祝詞を唱える黒い影の正体についても、何も分からずじまいでした。こちらの霊視を阻む特殊な念波が張り巡らされていて、どうしても読み取ることができなかったのです。専門的な呪術者による作為を感じました。

お伝えいただいた近況によれば、ご相談者のお友達の健康状態はかなり回復しているとのことで何よりです。ただし、それが黒い影の影響によるものなのかについては、大いに疑念が残ります。その影(霊?)が唱えていたというのは、恐らく六月晦大祓(みなづきのつごもりのおおはらへ)という祝詞で、これは神社などにおいて六月と十二月の年2回行われる大祓(おおはらえ)の儀式で奏上されるものです。本来、半年間の罪汚れと魔を祓う強力な祝詞ですから、邪霊がこれを唱えるというのは少し考えにくいことなのです。つまり黒い影は侵入を試みていたわけではなく、毎夜、外側から祝詞を奏上して、マンション内にいる何者かが外部へ出ないように封じ続けていたのではないかと推測されるわけです。「何者か」とは具体的に何であるのか、またすでに解き放たれたと思しきそれが現在、この付近一帯にどのような影響を与えているのかについては、さすがの私も考えるだけで少し寒気がいたします。