第2回 廃神社のマネキン人形 【中編】「ある男が集落の人々を恨んで呪詛を行った?廃屋の床下には不気味な呪符の束が…」

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呪いにまつわる恐ろしい話

第2回 廃神社のマネキン人形 【中編】

ある男が集落の人々を恨んで呪詛を行った?廃屋の床下には不気味な呪符の束が…

「呪いをかけられたのではないか?」と疑心暗鬼に陥っていた集落の人々。代表者的存在である1人の女性が、明治時代にまでさかのぼる古い因縁話を打ち明けた。そしてその話を裏付けるべく、霊能者を廃神社が建つ場所へと連れ出した。

神社を管理していた人物は20年前に失踪していた

不気味な呪符の束

「じつはですね、今は管理する者がいなくて荒れ果てているその神社、そもそもがここの集落の鎮守様なんかじゃないんですよ」

N子さんの話では元々、それは個人の家の敷地内にあった屋敷神の社で、明治時代の末期か大正初期の頃、当の家系の一族が揃って他所へ移転したことから、後に残されたその社を地域の氏神としてお祭りするようになったとのことでした。ほとんどの住人はそこに何が祭られているのかさえもろく知らぬまま、仮にも神社と呼ばれている建物を粗末に扱ってはいけないと、それなりに畏敬の念を持って接してきたと。つまり成り行きで信仰するようになった、本来は正体不明の神社であったというわけです。

「ただ、実際に見ていただければ分かりますが、今はすっかり荒れ果てています。それまで神社の世話をしていた家の人間が、ある日いきなりいなくなってしまったので」

「それが先ほどおっしゃっていた『集落を恨んでいる男』、ということなのですね」

「そうです。名はA沢××というのですが、この男がまた難儀な性格の男だったんです」

A沢というその人物は、かつて神社の所有者であった家の分家の末裔で、若い頃は東京で働いていたらしいのですが、それが30年ほど前、突然、故郷へ舞い戻ってきたそうです。以後、細々と農業を営みながら先代の跡を継ぐ形で先祖伝来の神社に奉仕するようになったものの、普段から素行に怪しいところがあり、周囲の評判は決して芳しいものではありませんでした。

「こっちへ戻ってきた時には、一目で水商売の出と分かる派手な身なりの女と一緒でね、本人は東京で結婚した妻だと言っていました。でも、その女もほんの数年でどこかへいなくなって、それからは神社のすぐ横にあった屋敷で1人暮らしを続けていて…」

A沢はとくにお金が絡んだトラブルを頻繁に起こしていたようでした。集落から集めた神社への奉仕金を私的に流用していたことから始まり、隣近所への借金の無心や暴力沙汰のいざこざ、果ては他人が所有する山林を勝手に売り払うという詐欺犯罪まで引き起こしたため、村八分のような扱いを受けるようになったのです。

「被害を受けた家が警察へ訴えず内々に処理したので、お縄になるということにはならなかったんですが、まあそれでも、あの図々しい男もさすがに居づらくなったんでしょうね。『いつか恨みを晴らしてやる!』って身勝手な捨てゼリフを残して、ある日突然、どこかへ消えてしまったんですよ。今から20年近く前の話です」

話を聞いていた川内さんはどうにも釈然とせず、N子さんにまた質問しました。

「事の次第は分かりましたが、でも、どうしてそのA沢がマネキン人形を動かしている犯人だと分かるんですか?まさか超能力者とか祈祷師とか、その手の特殊な能力の持ち主であったとか?」

すると彼女は重々しくうなずきながら、「口で説明するよりも、直に見ていただいた方が早いです」と、その場の一同を引き連れて問題の神社へ移動して行きました。

何が祭られていたのかも分からない廃神社。そして、その奥には異様な雰囲気の廃屋が

廃神社は集落の北東側、山裾へ続く小道の外れにありました。事前の説明に聞いたとおり、そこは車やバイクで国道へ出るにも、また畑や田圃での農作業をするにも必ず通らなくてはならない一本道で、そうした重要な生活道路に面して建っていたからこそ、集落全体の守り神のような存在になったのではないか、と川内さんはぼんやりと考えていました。

雑草が伸び放題となった境内の敷地に、煤けた感じの社が建っていました。元が個人宅の屋敷神であったとは想像できないくらい大きな社であったそうです。数人の人間が入れるほどの広さを有し、朱塗りの鳥居や拝殿の造りを見る限りは稲荷神社風。しかし、塗りがはげ落ちた社名の額には『荒神社』と記してあり、ちぐはぐな印象を漂わせていました。

そこで「ご祭神は何ですか?」とあらためて問うと、「お稲荷さんではないか?」「いや、荒神様と聞いている」、あるいは「元々はこの土地の山の神様が祭られていたはず」など、返ってくる答えがてんでバラバラ。最初のうちは川内さん自身もそこに特別な霊気の類いを全く感じ取ることができず、本当に神様がお祭りされていた場所なのかと首を傾げるほどでした。

また、さらにその奥手にはすでに空き家となって久しいA沢家の家屋もあり、そちらは玄関戸といわず窓といわず、全ての出入り口に分厚い板が打ちつけられていました。あまりに荒んだ雰囲気に息を飲んだ川内さんが「これはA沢という人が自分でやったことなのでしょうか?」と訊ねると、皆一様に気まずそうな顔を浮かべて口ごもってしまいました。やがて、その中でN子さんがポツリと一言。

「これは集落の有志がね、つい最近になってやったんですよ。あのマネキン人形が、家の外に出られないようにってね。でも、効き目はありませんでした」

「ということは、A沢家からその…人形みたいなモノが出てくるのを見た人がいると?」

「いえ、そういうわけではないのですが…。まあ、とにかくあの家の中へ入っていただければすぐ分かります」

A沢家の屋敷へ入り、奥の間の床板を外すと…

玄関の引き戸を塞いだ板が剥され、川内さんは廃屋の内部を案内されました。長い廊下を渡って1階の広間に至ると、和室の内部は一面、畳を外した状態になっていたそうです。その板敷きの1箇所を指差したN子さんが、「先生、そこの下を見てください」と言いました。

朽ちかけた板を数枚外すと、その床下に当たる部分には収納庫を思わせる狭い空間があり、古びて変色した紙束がぎっしりと詰め込まれているのが見えました。薄暗がりの中でよくよく目を凝らすと、1枚1枚は陰陽道系の呪符と思しき御札で、いずれも墨色が褪せてはいたものの、一見してその道のプロの手によるものと分かる、いかにも書き慣れた筆致であったそうです。さらにそれらの紙片の束の奥には、半ば溶けた赤い蝋燭(ろうそく)やら四肢の欠けた姫人形やら、果ては白骨化した小動物の死体やらと、とにかく薄気味の悪い代物が散乱しており、それらから漂い出す濃密な瘴気(しょうき)に川内さんは顔を思わずしかめました。

「これは…明らかに呪詛を行った跡ですね」

「ええ。私たちのようなシロウトでも、それくらいの見当はつきます」

「どなたが発見されたのですか?」

「当時、この家と土地は借金の抵当として別の人の手に渡っていましてね、A沢が行方不明になってからしばらくした頃、解体して更地にすることに決まったんですよ。もちろん、こんな山奥ですから土地自体には値段なんかつかないのですが、空き家のままで放っておくと火事とかが怖いですからね。それで工事前の下調べに入ってもらった業者が偶然、この有様を見つけたというわけです。構わず取り壊してしまおうと言う人もいたのですが、なんせ年寄りが多くて皆、迷信深いですから、祟りが起きたらどうするって意見に圧されて結局、手つかずで放っておくことになりました」

「なるほど。皆さんはこの様子を知っていたから、A沢が集落を去る前に、何か呪いを掛けていったのではないかと疑ったわけですね。でもそうだとすると、かなりのタイムラグがありますよね。A沢が集落を去ったのは20年前のことでしょう?」

「たしかにその通りですが、私たちにはこれ以上のことは分かりません。後は先生がご自分でお調べになってください。どうか、よろしくお願いします…」

N子さんはそう言って深々と頭を下げてきました。

霊視映像に浮かんだ山の神の姿

自分の目と耳で一連の事情を確かめた川内さんは、ようやく霊視の準備に取りかかりました。ただ、呪詛の残滓が垂れ込めたような、薄暗く饐えた屋内はあまりにも息苦しく、たまらず外へ飛び出しました。辺りに生い茂る雑草を掻き分けながら、拝殿とその奥にあるA沢家の廃屋をちょうど真正面に見据える位置に立ち、呼吸を整えて意識を集中していると、ほどなく脳裏に霊像が流れ込んできました。

最初に見えたのは、いずこかの山林の深奥で陽炎のようにゆらめくいびつな人影でした。通常の人間の身の丈と比べるとおよそ倍ほどもありそうなその巨人の影は、周囲の木々のざわめきと共振するかのように盛んに身を揺らし、時に獣の咆吼に似た恐ろしげな叫び声を上げていました。全身から発せられる波動の質から察するに、およそ人霊の類いではなく、天地の気が凝って生じた自然精霊、あるいは何かしらの妖精的な存在であることが分かったそうです。

「もしかして、これがこの神社のご祭神?!」

そう思いついた川内さんは、さらに詳細な霊視に突入。集落の人々が見守る中、時間にして数時間以上もその場に立ち尽くしていたそうです。そしてその苦労の甲斐あって明らかとなったのは、A沢家の本家筋に当たる先祖たちが長らく屋敷神として信仰していたのが、近辺の山地を住み家とする山霊(さんれい)的な存在であるという事実でした。

元々は炭焼きや山林業を生業としていたA家が、日々の山仕事での無事を祈って屋敷の庭に小さな祠を祭ったのが信仰の始まり。やがてそこに稲荷や荒神(庚神)の信仰が混ざり、祠自体の規模も次第に大きくなって、現在の郷社のような形態になったというわけです。

またその過程で、A沢家の血筋につながる何人かの修験行者が深く関与し、一族の繁栄を願う祈祷や呪術などが盛んに修された過去があったことまで明らかとなりました。つまりA沢の家というのは、元々その筋の素養がある家系だったのです。

またこの山霊は人間の勝手な都合で人里に勧請(かんじょう)されながら、その後、信心が途絶えたことを非常に怒っており、それが原因で生じた祟りのパワーが、集落で起きている怪奇現象に何らかの影響を及ぼしていることは間違いありませんでした。

霊視を終えた川内さんが、自分が見たままの事実を人々に告げると、「そういえば昔、似たような話を聞いたことがある」という声が上がり、中でも当時70代の老婦人の証言は非常に興味深い内容を含んでいました。

「私がまだ生まれる前の話だから、まあ、大昔さ。時代は大正の終わりか昭和の初めくらいのことだろうね。その頃、うちの父ちゃんは山の仕事1本で食べていたんだけれど、その時に山爺(やまじじい)に遭ったことがあったそうだよ…」

【後編へ続く】